献上柄

博多の粋、献上柄ものがたり -博多織の歴史-

 福岡の街は、当地ならではの小粋なデザインに彩られています。
 歩いてみれば、その玄関口である駅や空港、日夜にぎわう商業施設や文化施設、観光客をもてなすホテルのロビーも、人々が行き交い集うスポットは、独特の幾何学模様でしつらわれています。あるいは国際会議や展示会のパンフレットにも。
 そこで、福岡を象徴するこの図柄について豆知識を。
「献上柄」と呼び親しまれているこのデザイン。献上柄は、そもそも和装の「博多帯」の図柄ですから、和服に馴染みのない方には、少し不思議な模様に感じられるかもしれません。ということもあって、その背景を深掘りして、ちょっとだけご紹介します。ちょっとだけ・・・とは、いかにも出し惜しみでしょうか。ですが、献上柄、その図柄で知られるそもそもの「博多帯」は、福岡のふる~い歴史と、ふか~い伝統に育まれてきたものです。興味深いエピソードが満載なので、まぁ、少しずつ・・・。
博多帯イメージ

博多帯イメージ

 この模様、いったい何に見えますか。なにかいわれがありそうですね。
じつは、密教で使われる法具(道具)の独鈷と花皿を図案化したものなのだそう。独鈷(とっこ)は仏教の教えにおいて煩悩を打ち砕く武器、花皿は法要のときに散華する花びらを盛る器です。あしらわれる縞模様は、二本の太い縞が細い縞をはさむ子持ち縞、太い縞を二本ずつの細い縞がはさむ孝行縞です。ありがたくも深い思いがこめられています。
 この図案のはじまりは鎌倉時代まで時をさかのぼります。博多商人の満田弥三右衛門は聖一国師(円爾弁円)という高僧と、中国(宋の国)にわたりました。弥三右衛門は織物の技術を習得して1241年に帰国、持ち帰った技術をもとに研鑽を重ねます。なにかオリジナルのデザインを編み出したいと、アドバイスを求めたのが聖一国師でした。国師は独鈷と花皿を図案化してはどうかと名案を授けます。これを織り上げたものが、今に伝わる献上柄なのです。
独鈷(とっこ)と華皿(はなざら)

独鈷(とっこ)と華皿(はなざら)

献上(独鈷・華皿紋様)

献上(独鈷・華皿紋様)

満田彌三右衛門

満田彌三右衛門

 では、なぜ独鈷と花皿の模様が「献上柄」と呼ばれるのでしょう。ここには、福岡藩初代藩主、黒田長政(1568-1623)が関わっています。長政といえば、軍師として知られる父官兵衛と関ヶ原の戦いで大活躍、福岡城を築いた人物です。
 福岡城築城のころ、博多に竹若伊右衛門という博多織の職人がいました。のちに、博多織中興の祖と称えられる人物です。伊右衛門は長政の入国を祝い、自作の織物を献上しました。長政は、織物を手にしてその堅牢さ、美しさに感じ入り、高く評価しました。そして、伊右衛門に軍旗と陣羽織を織ることを命じ、博多織帯を幕府への献上品に選定します。以来毎年三月に、福岡藩は博多帯地十筋と生糸三匹を幕府に献上しました。こうして「献上博多織」が名実ともに誕生することになります。
 さらに、深掘りしてみましょう。藩の御用をいただいた竹若家は軍旗や陣羽織を織るときは、細心の注意をはらいました。織場の不浄を祓い、周囲にはしめ縄を張り巡らせました。職人は身を浄め、静粛な心構えで機織りに臨んだといいます。幕府に献上する帯を織るときは、さらに、身を引き締めて厳しい気持ちで取り組みました。
博多織は打ち込みの強さが特徴で、これが上質の帯として愛用される所以です。他所の帯が緯(よこ)糸で柄を織り出すのに対して、博多帯は経(たて)糸で柄を織り出します。細い経(たて)糸を多くつかい、太い緯糸を強く打ち込みます。帯を締めるときにキュッという絹なりがして、ゆるみません。武士が刀をさしてゆるまない博多織角帯はたいへんに珍重されました。評判は全国に広がり、需要は高まっていきます。一方で、藩は博多織の品質と格式を守るべく、博多織元の数を十二戸と定め、一戸一機と決めて手厚く保護しました。統制は江戸時代の中頃まで続きます。
福岡城 下之橋御門

福岡城 下之橋御門

織り機.

織り機.

 江戸後期、上質の帯として江戸、大坂でもすでに評判の献上博多帯でしたが、格式をゆずらないプライドの高さゆえもあってか、売れ行きにおいて西陣や桐生など他の名産地に遅れをみせはじめます。そんな状況下、博多織を売り広めるべく立ち上がった商人がいました。博多の桝屋清兵衛(のち山崎藤兵衛)です。江戸に乗り込み、市川團十郎(七代)の大人気にあやかり、歌舞伎の舞台で博多織を宣伝することにしました。團十郎への売り込みは成功、博多帯をまとったスター団十郎がとびきり粋な伊達姿を「助六」の舞台で披露しました。台詞には博多帯のコマーシャルを織り込みました。
 当時、博多織を宣伝した「助六」の台詞が書籍に記されていましたので、言葉をわかりやすくして紹介します。
助六

助六

助六(団十郎)と芸者の会話で:
芸者「助さんえ、ちか頃はいつでも博多(帯)をよくなさいますが、誠にいいねぇ。
博多(帯)ばかりなさるのは、なんぞわけでもありますかえ?」
助六「これはねぇ。母じゃがわしが吉原ばかり通うゆえ、
道すじで悪事災難からのがるるようにと、筑前博多に注文したものさ」・・・・・

助六(団十郎)、傾城揚巻を前にして、その他大勢に:
助六「この博多(帯)は唐糸だから、誠につよくて、
いつまでしても切るるということはねえ(ない)。
そこで揚巻と二人が仲、いつまでも切れぬようにということよ。
おぬし達も博多(帯)をしめるなら、
この頃、筑前の御屋敷(藩の江戸屋敷)に博多の清兵衛という人が来ているから、買ってしめるがいい」・・・・・

 献上柄には、身を守る意味が込められているのですね。助六の母のように、大事な方への贈り物にするのもしゃれてますね。

 「献上柄」に秘められた歴史を紐解いて少しご紹介しました。献上博多帯は、700年以上にわたり、博多織の関係者たちが、かたくななほどにその品質にこだわり、守りつづけてきたものです。その伝統は脈々と今に受け継がれています。
 先人たちが遺してくれた福岡の伝統文化を受け継ぎ、大切にしていきたいものです。
献上柄

献上柄

参考文献:『博多織史』杉原實著、『山崎藤兵衛事蹟』伊東尾四郎著
画像提供/博多織工業組合
筆者:松尾由美子(まつおゆみこ)
元「博多町家」ふるさと館学芸員  
福博の歴史、伝統文化に興味津々